世の善・悪・正義・道徳を見る

57.2kg―かつて、これに共感できることを当然とした時代があった

本日の体重:57.2kg

かつて、我々の祖先が生かされていた道徳世界には
これを称賛する価値観が存在しました。

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インドの老女、夫の火葬中に炎に身を投げ自殺
【ロイター通信:世界のこぼれ話】
http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPJAPAN-34263220081013
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戦後、特に欧米の一夫一婦0妾制が法制化されてしまった時代に
生まれた我々では実践するのをかなりためらいますが、
日本でも江戸時代においては「貞節者」として
幕府によって顕彰されています。
朝鮮においてもまた然り。こちらでは「烈女」です。
我々の場合、その原型は『列女伝』「貞順伝」に
見られるのでしょうが。
※「孽嬖伝(げっぺいでん)」という反義的な伝もあります※
※男は、君や上官のために死なねばなりませんでした。
今、その為に死ぬに値する上司がどれほど居るか定かでないですけど※

道徳表現の行為は殉死にとどまることなく、
状況に応じて多種多様。
しかしいずれも、ほんの100年強ほど前は
社会正義として当たり前だったわけです。
※社会正義:ここでは
「当時を生きる人々に、それが正しいと思われていたこと」の意味※

件の71歳の女性は、これを是とする道徳教化を
何らかの形で享受していたということになります。

彼女の年齢は71歳。
その父母・祖父母は間違い無くその当時の空気に浴していた世代。
彼女がその過渡期にあったと考えられる世代。
こうした前世代以前の下流に、
我々のような西洋の道徳観念に相当程度染まりながら、
一方でどこか染まりきれない所も残っている世代が
今、生かされています。

今回、その体現者を一人失ってしまった。
インドの老女の死は、かつての「美徳」の継承者を
喪失してしまったという意味を有します。

かつての「美徳」をそのまま蘇らせることが
正しいとは思いませんが、
自由の名の下に行われてきたことが実は放埓に過ぎなかった、
という仮説は成り立つでしょう。
この「老女の死」が惹起するのは、感銘か、嘲笑か。

ともあれ、こういう
「許せるものと許せないものを決めるライン」の存在を無視して
グローバリズムやら国際交流やらカッコイイ言説を唱えるだけでは、
その目的を達成することは難しい。
飯食ってしゃべくり倒すだけなら子供でもできます。

100年強前まで、
こうした行為の見本として往来物・善書・教化書といった
諸々の書籍が存在しました。
上に挙げた『列女伝』などもその類。
今、これらの役割は映画やマンガが引き継いでいるようです。

たとえば、
「ジャンヌ・ダルク」や「三銃士」が映画化されて久しく、
また「ダークナイト」が上映されました。
日本では『斉藤さん』や『ZETMAN』などが人気を博しています。
表現は極端になってますけども。

モラル混迷といわれて久しい昨今。

これらサブカルのトレンドは、
実はモラルのほころびを繕うべく
人間の心の奥底から発せられる道徳崩壊への警鐘として
発せられたものかも知れませんね。

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